それは夏の終わり、標高千メートルほどの低い山を単独で登っていた時のことでした。静かな山道で、突然、重低音を響かせる羽音が聞こえてきました。最初はヘリコプターか何かが遠くを飛んでいるのかと思いましたが、その音は急速に私に近づいてきました。そして、目の前を横切った影を見て、私は全身の血が引くような感覚に陥りました。そこにいたのは、紛れもないオオスズメバチでした。その蜂は、私がこれまで公園や街中で見てきた蜂とは、サイズも迫力も全く別次元のものでした。親指ほどもある巨体、鮮やかなオレンジ色の頭部、そして空気を震わせるような「ブーン」という低い音。蜂の種類には詳しくありませんでしたが、一目見ただけで「これは絶対に近づいてはいけない存在だ」と本能が叫びました。オオスズメバチは私の周囲を円を描くように飛び回り始めました。後で知ったことですが、これは偵察行動であり、相手が自分たちのテリトリーに侵入してきた敵かどうかを判断しているのだそうです。私はパニックになりかけましたが、以前どこかで読んだ「スズメバチに遭遇したら大声を上げず、ゆっくりと後退する」という教えを必死に思い出しました。蜂を刺激しないよう、急激な動きは避け、視線は蜂に向けたまま、一歩ずつ慎重に後ろへ下がりました。蜂はこちらの様子を伺うように、カチカチという顎を鳴らすような音を立てていました。これは最終警告のサインだと言われています。数分間という時間が、まるで一時間にも感じられるほどの緊張感でした。幸いなことに、私は蜂の巣のすぐ近くにはいなかったようで、ある程度距離を置いたところで、オオスズメバチは興味を失ったかのように茂みの奥へと消えていきました。私はその場に座り込み、しばらく震えが止まりませんでした。下山後に調べてみると、オオスズメバチは秋口になると攻撃性が最大になり、巣を守るために非常に神経質になるそうです。また、黒い色に対して激しく攻撃する習性があるため、私が偶然にも白い帽子を被っていたことも幸いしたのかもしれません。山という場所は、彼らにとっては自分たちの聖域であり、人間こそが侵入者なのです。あの日以来、私はアウトドアに出かける際は、蜂の種類や生態、そして遭遇した時の対処法を徹底的に予習するようになりました。巨大な蜂との遭遇は、自然の厳しさと、正しい知識を持つことの重要性を私に教えてくれた、一生忘れられない経験となりました。