毎朝、窓を開けるとベランダの手すりに決まって一羽の鳩が止まっています。いつからか我が家のベランダを羽休めの場所に決めたらしいその鳩を、私は密かに「いつもの彼」と呼んでいます。ふとした瞬間に、この鳩は一体あとどれくらいこうして元気な姿を見せてくれるのだろうかと考え、鳩の寿命について調べてみたことがありました。驚いたことに、野生の鳩の平均寿命はわずか数年だという現実を知り、目の前の鳩が愛おしくなると同時に、自然界の厳しさに胸が締め付けられる思いがしました。私たちが目にしている鳩は、常に若々しく力強く見えますが、それは厳しい自然の選別を勝ち抜いた個体だけが私たちの前に姿を現しているからに過ぎません。ドバトと呼ばれる彼らの多くは、雛のうちに命を落としたり、成鳥になっても事故や病気で志半ばにして姿を消したりします。都会の空は一見自由に見えますが、そこには餌の奪い合いや縄張り争い、そして休む間もない繁殖活動という、人間には想像もつかないほどの激務が待っています。私がベランダで眺めている穏やかな光景の裏側で、彼らは日々、自らの寿命を削りながら生きているのかもしれません。鳩の寿命が飼育下では二十年近くに及ぶこともあると聞き、環境がいかに命の長さを左右するかを痛感しました。もしこの鳩を私が保護して育てたなら、この先何十年も一緒にいられる可能性がある一方で、野生のままでは数年後に再会できる保証はどこにもありません。しかし、それでも彼が空を選び、雨風に打たれながらも仲間と飛び交う姿を見ていると、命の価値は長さだけで測れるものではないという気もしてきます。短い寿命を承知の上で、あるいはそんなことなど微塵も考えずに、今この瞬間に注がれる熱量は、私たちのそれよりもずっと純粋で強烈なものに違いありません。鳩の寿命という冷徹な数字を知ったことで、私の朝の景色は少しだけ色を変えました。明日もまた、彼が元気にベランダに現れてくれることを願わずにはいられません。それは、限られた時間を精一杯に生きる友への、ささやかなエールのようなものです。彼が去った後の手すりに残された小さな羽一枚さえも、彼が今日も無事に生き抜いた証のように思えて、私はそれを大切に掃除しながら、自分自身の命の時間についても静かに思いを馳せるようになりました。
ベランダに飛来する鳩を眺めながら考える命の長さと日々の営み